スタジオジブリだけではなく、日本アニメを代表する作品といっても過言ではない「千と千尋の神隠し」
子供だけでなく大人が見ても楽しめる作品として幅広い世代に支持されている作品です。
そんな「千と千尋の神隠し」には裏設定がいくつもあるのをご存じでしょうか?
今回は千と千尋の神隠しの有名な裏設定を10個ご紹介していきます。
油屋は「夜のお店」説
千と千尋の神隠しで千尋が働く場所となったのが油屋。
油屋の建物は基本的は赤を基調とした建物の構造です。
この赤を基調とした建物に似た建物として「遊郭」が思い浮かびます。
遊郭の始まりは安土桃山時代ともいわれており、お客さんを喜ばせるために集めた女達を囲った区画のことを遊郭といいます。
他にも以下のようなポイントが油屋と「夜のお店」の共通点と言われています。
- 千尋が“千”と改名するのは源氏名である
- 千尋は油屋で「湯女」として風呂係で働きますが古来より湯女とは遊女を指す言葉である
- 油屋の営業は夜の時間のみである
これらの理由から油屋は「夜のお店」をモデルとしているということがうかがえます。
宮崎監督自身、「現代世界を描くのに一番適しているのが風俗産業だと思うんです」とインタビュー内で語っていたことさえあります。
総合すると油屋の設定は「夜のお店」という設定に落ち着くというのは非常に納得できる設定ですね。
銭湯っぽのになぜ「油屋」という名前なの?
油屋は神様たちの垢を落としゆっくりしてもらうというサービスを提供しています。
この説明だと銭湯を想像し「湯屋」じゃないかと違和感と感じてしまいます。
ただ、「油屋」という名前の説にはいくつかの考え方があります。
- 別府の観光開発に尽力した人に“油屋熊八”という人物がいて、その名前から「油屋」を屋号にとった温泉旅館がいくつか存在している
- 江戸時代にあった遊郭の「油屋」で殺傷事件が起きた「油屋騒動」からとっている
- 油には塩と同じように清めの効果があると古くから言い伝えられている
またスタジオジブリオフィシャルサイトの「ジブリ日誌」2003年1月9日でこのような解釈がされていました。
まず、「湯屋」と「油屋」はどちらが正しい表記なのかという質問をよく受けます。これは、「ゆや」というのは「お風呂屋さん」を意味する言葉で「湯屋」と表記し、そのお店の名前(屋号)は「あぶらや」で「油屋」と表記するのが正解です。
引用:ジブリ日誌
銭湯の屋号として「油屋」と表記されているということです。
銭湯だから「湯屋」と思いがちですが、「油屋」という名前表記にしているのにはちゃんとした理由があるんですね。
神様が油屋にきている理由
千尋が迷い込んだ世界は人間世界と神様のいる世界との狭間にある世界ともいわれています。
宮崎監督の考えでは、日本には八百万の神が存在し、ありとあらゆるものに神様が宿っているとの考えがあります。
欲望にまみれた人間世界での汚れを洗い流すために、神様たちが夜な夜な油屋に通っているのではないでしょうか?
そう考えると、周りに存在するすべてのものをもっと大切にしないといけないと考えさせられてしまいますね。
千尋が名前を間違えて書いた理由
https://twitter.com/shunya7_24/status/822431453497540609?s=20
湯婆婆と契約するときに千尋は名前を書きますが、実はその名前を書き間違えているのです。
本来の「荻野」で火を書くべきところを“犬”と書いてしまっているのです。
千尋が名前を書き間違えたことの理由はいくつか憶測があります。
- 千尋が素で書き間違えた
- ハクが千尋に名前を間違えるように魔法をかけた
- 不思議な世界に足を踏み入れた瞬間から記憶が薄れていっており、このときすでに自分の本名の記憶が薄れてしまっていた
公式での発表はないため、推察するしかありませんが、素で書き間違えたというのは少し無理があるかなと感じます。
小学生といえど、自分の名前は普段から書いているでしょうし、それを間違えてしまうというのも少し考えにくいです。
ハクが魔法をかけたとするのはかなりあり得るように感じます。
ハクは川の神様であり、湯婆婆に魔法使いの弟子入りをしていることもあり、魔法を使う事も出来ます。
名前を奪われる危険性を感じたハクが前もって千尋に魔法をかけていたというのは優しいハクならありそうだなと感じますね。
もう一つの理由である、この世界に入った瞬間から記憶が薄れているという説もこの世界観を的確にとらえていて説得力があります。
両親が豚になってしまって逃げ惑う千尋の手が消えかかっていくというシーンがあります。
その設定から考えると記憶が薄れているというのは一番無理のない説明かもしれません。
千尋はサンの子孫説
千尋がサンの子孫であるというのも有名な都市伝説の一つです。
確固たる根拠や公式での発表はありませんが、神様の世界に迷い込んだ世界の千尋と神々を近くに感じながら生きるサン。
また千尋が書き間違えた名前の文字が“火”ではなく、“犬”だったことと、サンが山犬によって育てられていたこと。
どことなく二人の間につながりを感じてしまいます。
宮崎監督の中では、キャラは年月と共に成長します。
となりのトトロの五月やメイはすでに30歳を過ぎていますし、キキも成長をしているのでしょう。
宮崎監督のキャラは物語が終わった後も様々な経験をして、それぞれに成長をしています。
そう考えるとサンが成長して家庭を持ち、その血を千尋が受け継いでいると想像するだけでもジブリファンにとっては極上の楽しみといえるでしょう。
千と千尋の神隠しはトトロの続編説
千と千尋の神隠しが他のジブリ作品とつながりがあるのではという裏設定は他にもあります。
スタジオジブリの顔ともいえる作品「となりのトトロ」。
千と千尋の神隠しはトトロの続編だという都市伝説があるのです。
千と千尋の神隠しの設定ととなりのトトロの設定には似たものがいくつかあります。
- 死後の世界や神様の描写がある
- 不思議な世界に少女が迷い込む
- まっくろくろすけが登場する
となりのトトロでは、トトロ自体が死神や神様の類ではないかという推察があり、千と千尋の神隠しでは神様が多数登場します。
不思議な世界に迷い込む五月とメイと千尋。
となりのトトロではまっくろくろすけとして、千と千尋の神隠しはススワタリとして登場します。
いくつかの似た設定は確かにあります。
ただ、二つの作品の世界観は似ているかもしれませんが、時代背景が大きく異なります。
千と千尋の神隠しでは、アウディA4が走り回る世界で、一方のとなりのトトロでは三輪車の引越トラックが走り回るような世界です。
二つの作品にはかなりの時間の隔たりがあることは否定できません。
ただ、違う時間軸の世界観として考えるならば、続編という考え方も完全に否定することはできないかもしれませんね。
リンの正体は?主人公になるはずだった
言葉は悪いけれど、千尋を妹のように可愛がり面倒をみてくれる姉御肌のリン。
作中ではそれほど目立つキャラではありませんが、人気の高いキャラです。
そんなリンですが、宮崎監督のボツ案となってしまった『煙突描きのリン』の作品の主人公だったといわれています。
この作品は20歳のリンと60歳の男性の恋物語の予定で制作していましたが、結局作品は完成される前にボツとなってしまいました。
そのリンを千と千尋の神隠しの世界に登場させたという話があります。
宮崎監督は描くキャラクター、とりわけ主人公や中心となるキャラクターには並々ならぬ愛情を注ぎます。
そう考えるとリンも宮崎監督の思い入れの強いキャラといえるでしょう。
また、リンの正体についての裏設定には、白狐とする説と、人間とする説があります。
ただ以下の点からリンの正体は白狐とする説の方が有力になっています。
- 窯爺の頼みを聞く代わりとしてイモリの黒焼きをもらっておいしそうに食べていたこと
- リンの面長の顔立ち
- 千尋のように「人間臭い」と騒ぎ立てられることがなかったこと
- 宮崎監督のラフデザインに「リン(白狐)」と添えられていたこと
いくつかのポイントを考えるとリンは白狐という設定の方がつじつまが合いますね。
ハクの正体は?
千と千尋の神隠しの中でも千尋と人気を二分するキャラのハク。
ハクにもさまざまな裏設定があるといわれています。
その中でも物語のシーンなどから推察する最も説得力のある裏設定が「ハクの正体は千尋の兄である」という説です。
ハクの正体が千尋の兄であると推察される原因はいくつかあります。
- ハクが自分の名前は忘れてしまったのに千尋のことは覚えていること
- 千尋が幼いころに溺れたときに子供の手が差し伸べられていたこと
- 千尋の母親の千尋に対する冷たい態度
ハクは実は千尋の兄であり、幼い千尋を助けるために命を落としてしまい、その行動を称えられ川の神様となったと考えると物語の色々な部分の説明がつきます。
ただ、ハクが兄であるという設定は公式設定ではありませんので、あくまでも都市伝説の域を出ません。
でも、ハクが千尋の兄で時を経て再会できたと考えれば、心があったかくなりますね。
カオナシの正体は?
登場した時から異色の存在感をはなっていたカオナシ。
自ら発する言葉を持たず最初は「あ…あ…」という発言ばかりでした。
ただ、千尋に優しくしてもらうことで自身の存在意義を見つけ、油屋で従業員たちを次々に飲み込みながら、砂金をばらまく暴挙を行います。
湯婆婆の攻撃すらものともしないカオナシでしたが、千尋が川の神様からもらった草団子をもらうことによりすべてを吐き出して元に戻っていきます。
カオナシの正体についてもいくつか説があります。
- カオナシは欲望である
- カオナシは現代の若者を象徴した存在である
カオナシの物語での行動を思い返すと、どちらも正解であるように感じます。
カオナシというのは人間の欲望であり、人間そのものなのではないかと。
私たち人間は、他者とコミュニケーションを図る中で自分の存在意義を見つけます。
他者に認められればうれしいし、もっと認めてもらいたいと欲が出てくるものです。
誰からも声をかけられずに、自分という存在自体に疑問を感じたいたカオナシが、千尋に存在を認めてもらえた事で自分の存在意義を感じることができた。
そう考えるとカオナシは人間そのものを象徴した存在ともいえるのかもしれませんね。
海の上を走る電車はあの世行き説
物語の終盤で千尋はハクを助けるために、海原電鉄に乗って銭婆の元へ向かいます。
このときに千尋たちが乗っていた海原電鉄は、あの世行きではないかという裏設定があります。
根拠となる一つに窯爺の言葉があります。
海原電鉄の最終的な行先があの世だと考えると、「行きっぱなし」というのは戻る道はないということだと考えられます。
また、昔は戻りの電車があったとあることから、これは現代の社会を風刺している表現ともとれます。
昔は、お盆などには親戚一同で集まって先祖の霊を迎えることも多かったものです。
でも、今は核家族化などもあり、親戚が集まることも、先祖の霊を迎えることもどんどん減っていきました。
このことを考えると「今は誰も迎えてくれないから戻りの電車がなくなった」と考察することができます。
また途中下車する人たちは生死の境を彷徨っていて、無事に生還したと考えるとこの設定はあり得る設定だなと感じます。
乗客たちも薄くなってはいるものの、人の形をしていて、人の魂だと推察できます。
また水の上を渡っている描写は三途の川を渡る描写ともとらえられます。
総合的に考えると、海原電鉄があの世行の列車というのは説得力のある説だといえますね。
まとめ
今回は千と千尋の神隠しの裏設定についてご紹介してきました。
- 油屋の裏設定が夜のお店だというのは様々な描写が裏付けている
- 銭湯の屋号を「油屋」と表記するところから「油屋」とうい名前になった
- 神様は人間世界での汚れを流れ落とすために油屋に通っている
- 千尋が名前を書き間違えたのは記憶が薄れてしまっていたから
- 千尋とサンの共通部分が多く子孫であるとしてもおかしくはない
- 千と千尋の神隠しはとなりのトトロの続編であるとするには時代背景が違い過ぎる
- リンの正体は白狐。リンの元キャラはボツとなってしまった作品の主人公
- ハクの正体は千尋の兄説が濃厚
- カオナシは人間の欲望や人間そのものを象徴したものである
- 海原電鉄はあの世とこの世をつなぐ電車である
宮崎監督の特徴としてセリフでは語らず絵にメッセージを込めるという特徴があります。
それ故に一つの作品でも様々な解釈が生まれ、見る人によって響くメッセージが違ってくるのでしょう。
裏設定の内容を踏まえて千と千尋の神隠しをもう一度見るとまた新たな発見があるかもしれません。
気になる部分がありましたら、ぜひとも作品で確認してみてくださいね♪
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